「おはようございます。寒いね……」 冷え込んだ朝の空気の中、まだ夜も明けぬ暗いうちから、 機材を積み込んだ車で「健康の森」を出発する。この20年、 冬の朝の風景は変わることなく繰り返されてきました。 二十年前の景色 20年前の現場は今よりも過酷で、検査環境は決して恵ま れたものではありませんでした。 当時の装置は現在よりずっと大きく、画像を映し出すモニ ターも小さく不鮮明。その中から数ミリの「影」を探し出す 作業は、まるで深い霧の中で小さな光を見つけるような、神 経をすり減らす毎日でした。 当時は技師7人、装置8台という限られた体制でしたが、 「絶対に見逃さない」という強い使命感を胸に県内を走り回っ ていました。カーテンの向こう側で検査を待つ受診者の皆様 の緊張感を受け止め、そのプレッシャーに押しつぶされそう になりながら、私たちは必死にモニターを見つめていました。 欠かすことのできない存在 私たちの歩みを語る上で、欠かすことのできない恩師がい ます。森久保寛先生です。 先生は膨大な画像を一つひとつ丁寧に読影され、時に厳し く、時に温かくご指導くださっています。今の私たちがある のは、森久保先生が築かれた盤石な基礎があってこそです。 現在も変わらぬご指導とエールを背に、より高い精度を追求 し続けています。 日本社会の変化 この20年を振り返ると、日本女性を取り巻く「乳がん」 という病の状況は劇的に変化しました。 20年前、日本女性の乳がん罹患率はまだ現在ほど高くは なく、一生の間に罹患する確率は「20人から30人に一人」 と言われていました。しかし、食生活の欧米化やライフスタ イルの多様化、晩婚化といった社会背景の変化に伴い、その 数字は驚くべき速さで上昇。現在では「9人に1人」にまで 達し、乳がんは非常に身近な病気となりました。 20年の変遷と「相棒」の進化 時代の変化とともに、私たちの「相棒」である装置は7台 から13台へと増えていきました。 20年前は、大きなジュラルミンケースに入ったポータブ ル装置を使用していましたが、到底女性一人の力で運べるも のではありませんでした。 その後、折りたたみ型装置が発売されましたが、当時は理 想的な運搬ケースがありませんでした。そこで私たちは旅行 用のスーツケースを購入し、知恵を出し合って内部を改造。 手作りの運搬ケースを完成させました。 キャスターで転がせるようにはなったものの、エレベー ターのない会場の2階へ運び上げる際は、息の切れる重労働 でした。(…「どこでもドア」発明されないかな~。…) 現在使用している装置は、専用ケースが完備されており、 時代の進歩を肌で感じています。 共に志す仲間も増え、この20年間で14人の技師を育成 してきました。超音波検査は、技師の「プローブを当てる角 度」ひとつで結果が変わる非常に繊細な検査です。「栃木県 のどこで検査を受けても、同じ最高品質のクオリティを保 つ」。森久保先生の教えである「一切の妥協を許さない姿勢」 で、私たちは切磋琢磨し続けてきました。 また、国家プロジェクトである大規模比較試験 「J-START」への参画をはじめ、超音波レポートシステム や総合判定方式の導入といった体制刷新、そして震災やコロ ナ禍という想像もしえなかった困難も経験しました。しかし、 その苦難こそが、変化に対応する私たちの強さを育んでくれ たと感じています。 結びに 技術は進歩し、今はAIがサポートしてくれる時代になりま した。いつか「人の手」や「人の目」を必要としない検査技 術が開発される日が来るかもしれません。 しかし、最終的に病変を捉えるのは、研ぎ澄まされた「人 の感覚」、そして受診者に寄り添う「人の心」であると私は 信じています。 これからも、たくさんの荷物を車に積み込み、私たちは栃 木県内を走り続けます。マンモグラフィと共に多くの乳がん を早期発見することを目指し、明日もまた、温かい心を持っ て画面を見つめ続けたいと思います。 (渡邉 朋子 記) 乳がん検診超音波検査――この 20 年の景色 Tochigi Public Health Service Association 27
RkJQdWJsaXNoZXIy NDY3NTA=